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2009年06月04日
JR八戸線の歴史をテーマに講演
八戸大学・八戸短期大学総合研究所では、一般市民向けに「'09そうけん土曜講座」を開講します。
この中で、第1回の6月6日(土)には「八戸線全線開通80年−鉄道がもたらした沿線の近代化−」と題したJR八戸線にまつわるお話しがあります。
・(リンク)Research Institute Hachinohe University
八戸の発展には国鉄八戸線による鉄道貨物輸送が果たした役割は大きいものでしたが、こういった講演のテーマとなるのは珍しいのでは無いでしょうか。
その昔には鮫駅や湊貨物駅から築地市場まで貨物列車で大量の鮮魚を運んでいた事もあります。
なお、八戸市内の貨物線跡の様子は八戸の歩き方でも画像で見る事ができます。
・八戸の歩き方(貨物線編)
投稿者 umineko : 2009年06月04日 12:46
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コメント
こんばんは。
あの悪夢から4半世紀です。
ウチは鉄道ファンというより、貨車ファン、専用線ファン、臨海鉄道ファンですから、59-2の改正が憎くて仕方ありません。
やはりレム5000、レサ5000が八戸らしく又、格好良く、絶滅したのが悔まれます。
"銘車レム5000"の試作車が、あの湊駅常備だったそうなので、八戸は、レム5000発祥の地と言っても過言ではありません。レサ5000は、もっと八戸らしいです。
鮮魚列車や、セメント列車廃止の記事が當時、デイリー新聞に写真付きで載っていました。
セメントといえば、八戸セメントのほかに、カイハツ?とかいう物もありました。八戸セメントの住友マークのタキ1900と違い、フタが1個多いタイプでした。よくマルヨの前に停まっていました。
昔の八戸は良かったなァ。合同とか、太平洋金属にも専用線がありました。合同は現在も途中まで痕跡があるかな??
太平洋金属の方は、新大橋の所で分岐していて、火力発電所を通り、油槽所へ。
本八(貨)はそのままですが、その沙紀の雑草が酷いです。廃止ではなく休止のようです。 「なんとかアイランド??」まで延長して復活して星井です。もしかしたら、それを考慮して撤去しないのかも???
元々、バスには興味無く、貨物鉄道一筋でしたが、貨物鉄道の衰退により、バス趣味中心になってしまいました。
投稿者 トンケ : 2009年06月07日 11:45
こんにちは、トンケさん。
鮮魚列車が毎日ように市内から出発していった時代は、ほとんど知りませんが、すごい活気があったのでしょう。
今となると痕跡はごくわずかですけど、跡地にもっと説明板なんかがあると、昔を知らない市民にも八戸発展を支えて来た貨物線を知ってもらえると思います。
あと、石油基地までの線路はかろうじて残っているものの、意図的に残している感じはしません。
しかし、ポートアイランドまで延伸して、そこからコンテナ貨物船に積み替えて輸送、なんていうのを期待しまいますね!
投稿者 umineko : 2009年06月09日 13:29